体の中をイメージするとき、どんな絵が浮かびますか?
少々照れるけれど、告白いたします。
実は、私、毎朝晩、「自分の内外の森羅万象に感謝します」と手を合わせ、一日をはじめ、終える。これを習慣にしています。この習慣が崩れるのは、現実で起きるアレコレに気を囚われすぎている時。そんな時ほど、このご挨拶は必要なのだけど、すっかり忘れてちゃっているとき、度々です。
今朝、それをしているとき、「あっ! あら? ああああああああぁ~!?」って、あることに気づいたんです。
それは・・・。
自分の外側の森羅万象については、当たり前の話、立体だし、動きのあるものとして捉えているのですが、自分の内側の森羅万象が全くの概念でしかなかったと。まあ、よくて内臓や筋肉や骨など大きな物の「静止画」だったのです。
そう、『体のしくみ』的な本で見る動かない平面図。
でもね、刻一刻と変化しつづけている体を静止画で捉えているって、あんまりにも変じゃない?「森羅万象に感謝する」なんてカッコつけたお題目を唱えて満足している場合じゃないよって。
そこで、自分の体の内側に意識を向けてみると、ほら、まず心臓がトットットッって動いているよね。肺もふわ~っと膨らんだり、ふ~としぼんだりを繰り返してるよね。
まあ、そこから先はNHKスペシャルの『人体』など、テレビで見たCG映像からのイメージになっちゃうんだけど、血液ドクドク流れ、細胞の体液でプカプカと小さな物質が盛んに行き来し、骨の内部にも血が流れ、臓器同士が顕微鏡でも見えない微小な物質で連絡取り合い・・・。なんてことが起きているわけです。
そんなイメージが湧いてきたら、体がどんどん立体、それもぷにょぷにょしたやわらかな存在に感じられ、周りの環境との境も和らぎ、体の存在感が激変したのです。
立って歩いてみると、動きも柔らかい。バネがある。らせん状に動こうとしなくても勝手になっちゃう。
ところが、
「この存在感で“力む”って、難易度高くない!?」
と呟いたとたん、その存在感が平面図の静止画に戻ってしまったのです。ああ、これだから力みやすいのかって。つまり、実体と違い過ぎるイメージを動かすから、あちこちガタガタして力むのかもしれないと。
そこで気がついたのです!
本来立体で常時動いている体のイメージが平面の静止画になっている。この前提が脳に染みついていることも、ヒトを本来の動きから遠ざけている一因かもなと。
「体の中を動画でイメージ作戦」。
これ、ひょっとすると、本来の動きや状態を取り戻すために、ワタシ的には大発見かもなんです。しばらく遊びながら試してみます。
ご興味あります方、楽しみながらやってみてください。感想、お聞かせていただければ嬉しいです。