陸上競技は人体の可能性を端的に見せてくれる。そこにたまらなく惹かれます。
なので世界陸上オレゴン大会が終わり、陸上競技大好き人間の私は、今、祭りの後の寂しさに襲われています.
今回は特に米国のアリソン・フェリックス(36歳)と、ジャマイカのシェリーアン・フレーザー・プライス(35歳)、ベテランにしてなお世界のトップで活躍する選手の動きに注目していました。 やはり息の長い選手は競技を楽しんでいる。動きに全く無理がない。滞りがない。そんなことを感じていました。
でも、今、目を閉じて、最初に浮かんでくるのが、なぜか、スタート直前、選手紹介の時に見せる選手たちの立姿の躍動なのです。
皆、それぞれの思いを秘めながら、ゴールを見つめながら、右に左にゆらいでいる。 大胆にゆらぐ人もいれば、細やかにゆらぐ人もいる。
皆、これから爆発させるエネルギーを練っているかのようにゆらいでいる。一人として止まっている人はいないんですね。
このゆらぎは体の重みと地球との共演、立役者は万有引力。観ていてとても気持ちよく、こちらの体も気持ちよくゆらいできます。
「らせん流ウォーク」の体験会では、まず足の骨の構造を説明しながら、足をさすります。それで立つと、ピターっと足裏が床に吸いつきます。
そのまま体を床と足にゆだねていくほどに、ゆらいできます。
すると、たいていどなたかが言われます。
「止まらないんですけど。ゆらゆらしちゃうんですけど」って。
そのたびに 「しちゃっていいんです。それが本来の立ち方ですから。自然界のものはすべてゆらいでいます。私たち人間も自然の一部。だから、それが自然な姿です」 と答えます。
続けて、 「では、「気をつけ!」をしてみてください」って言います。
すると、皆さん、素直に「気をつけ」をされる。
でも、「く、苦しい」って、すぐに止めて、「こっちがいいです」って、ゆらぎはじめます。
ゆらぎながら、どこかに行こうと思うと、その方向に体はゆらゆらと進んでいきます。
一方、「気をつけ」は、ハンドブレーキをかけて自然な動きを止めた状態。地球とのやり取りも止まります。ここから動こうしたら、ブレーキを外すひと手間で動きだしが遅くなります。
ゆらいでいたら地球からもらえてた力を自分で出さなくてはいけないから、疲れもします、見ている方も緊張してきます。いいことナシです。
なので、よっぽどの必要性があるとき以外、もう「気をつけ!」は止めませんか? そんなことをスーパーアスリートの競演を見ながら感じていた私でした。