体の構造に沿ってらせん状に流れるように動くとラクでこの上なく気持ちいいことに気づき、その動きに「らせん流」、それを広めるための教室の屋号(?)を「らせん流タオRUNNING?楽部」として6年が経ちました。
屋号に「タオ」とつけたのは、らせん流の動きにはじめて出逢った時、老子の「道徳経」にある「無為自然」の言葉が浮かんだからです。
当時、この言葉の理解は、頭の中だけのものでした。
ですが、この6年間、この言葉は絶えず私の隣にいて、今ようやくほんの少しだけ体に落とし込めてきたように感じます。
今朝のことです。
午後は雨かもと思い、久しぶりに朝、散歩に出ました。
いつもの森で木漏れ日の円の中で佇み、「今、どんな息を私はしてる?」と呼吸に意識を向けました。
これ、らせん流の教室でやっているワークなんですけど、それだけで、その時々の状態にあった呼吸を体がしだすのです。
大抵、勝手に深くなってきます。全身呼吸になってきます。
息は自律神経によって自動的に起きている動きであり、自分でもコントロールできる唯一の動きです。
で、ベースは、自動的に起きている方。
だから、
「深い呼吸をしましょう」
とか、
「腹で息をしましょう」
とか、あっ、そもそもですね。
「吸って、吐いて」
と、呼吸のリズムをいきなり指示すること自体、私は乱暴だと感じてきました。
今、どうなってるかを現状を把握もしないで、どうしろ、こうしろって、ないよね、と。
そこで、どうなっているか感じてみたら、「あら、不思議! 勝手にラクに無理なく調うじゃない」と気がついて、そこからこのワークするようになったのです。
さて、今朝の話に話、戻します。
今日も自然に呼吸がなめらかに全方位に深くなりました。
「ほ~ら、調った!」
と歓んでいたら、背骨が位置をちょこっと変えたのです。
すっとラクに立てるようになりました。
さらに呼吸がラクになりました。
おやおや、体は呼吸をしやすくするために、呼吸を使って骨の並びまで自動的に変えてくれるんかい?!
そうか、呼吸をラクにすることは、ラクに生きること。
だもん、これの優先順位、めちゃ高いはずだから、ありえるよね~。
私はただ、「私の息って、どんな感じ?」と眺めていただけです。
自(みずか)らはなにも為していません。なのに、自(おの)ずから然るべきことが起きた。
無為自然・・・。
さらに! さらに!
この「無為」には別の解釈があります。
私が愛読する「道徳経」は、加島祥造さんの訳による『タオ~老子』(筑摩書房)です。
加島さんによる「無為」の解釈は、人為的に為すことがないではなく、「“無”が為す」なんです。
彼の言う「無」とは、この宇宙を創った「大いなる存在」を指すのだと私は理解しています。
今朝、私の呼吸を調え、体を調えたのは、呼吸の中に潜んでいる「大いなる存在」?
人為的に為すことを止めると、自分の中に潜んでいる「大いなる存在」の叡智が働きだす?
それが「無為自然」・・・・。
とりあえず、そんな仮説を立てた朝でした。
にしても、体ってスゴイ!
これは毎度出てくる結論!(笑)