「“ある”ものを“ない”ことにし、“ない”ことを“ある”としてきたけど、“ある”ものを“ある”と認めたら、生きるのが楽になってきました」

「ある」ものが「ない」、「ない」ものが「ある」
なんか、禅問答のようで、一瞬「?・・・・」となる感想を、先日、らせん流本コースを修了された元ラグビー日本代表選手だった宮下哲朗さんからいただきました。
詳しく伺うと、
「ある」ものとは、自分の体が「~したい」と言っていること。
「ない」ものとは、外から与えられた「~すべき」という教え。
この話は心のこと、生き方のことにもおよぶ深いものでした。
ですが、私にどこまで彼の真意を伝えられるか、はなはだ自信ないので、ここでは体の話にとどめます。
全身はひとつながりです。
体が動きたいように動けば≒体の構造通りに動けば(ここ大事!)、体のどこかが動いたら、全身どこもかしこも動く。これが本来の姿です。
これ、とっても大事なことだから、皆さんも、よ~く、頭に叩き込んでおいてくださいね。
赤ちゃんの動きをみていると、わかります。
たとえば、足をバタバタしている時、頭も腕も動きます。
赤ちゃんは、動きたいように動くから、これは体の構造に沿っています。
だけど、私たちが受けてきた運動指導は、「足の運動は足だけを動かすべし。他は動いてはだめ!」って感じじゃなかったですか?
これで、体の本来の動きでは「ない」動きをさせられつづけてきたわけです。
それを長年続けてきたことで洗脳されて、本来「ない」ことが、「ある」というか「あるべき」姿になっている。それが動きづらさの大きな原因の一つです。
彼はこの「ない」ことが「ある」と思い込んできた状態は「身体が奴隷状態にあった」といい、体をそこから解放することを、月1回、半年間、らせん流のワークショップに通う中でされたのです。
そして、本来「ある」もの、つまり、自分の体の「~したい」を受け入れたことで、体だけでなく心も解放され、会社での仕事の仕方も活路が開けてきたと。
そのあたりの話、今度、対談させていただこうかと、目論んでいます。
体は正直です。「体の~したい」、その声に従うことは、今、世の中のあちこちで起きている行き詰まりを根本から溶かしていく良策のように感じています。
おっと、話がデカくなってきました。
これより先は妄想になりそうなので、ここで終わりにします(笑)。
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