
「子どもの頃から“頑張ることはいいことだ”という言葉が自分を追いつめていること、そして、年齢を重ねていくにつれ、それが“呪い”の言葉になっていることは何となく感じていました。といって、頑張るのでなかったら、どんな風にすればいいの? ということがわからなかったのです。ですが、らせん流に通うなかで“気持ちいい”と感じるようにすればいいこと、そして、それで元気になれることを知り、本当に良かったと思います。これが身につくまで繰り返し、続けていきます」
先日、らせん流本コース修了した60代の女性から、こんな感想をいただき、「確かにな~。なるほどな~」と深く頷きました。
この方のように、この「呪い」とともに歩いて、生きていらっしゃる方、多いことでしょう。
その「呪いからの解放」を、思考からでなく、歩き方を見直すことを通して、体の中から遂行していくのがらせん流です。
といっても、それを狙ってらせん流を作ったわけではないんですけどね。これは大きな大きな副産物でした。
先日も、らせん流を取り入れてくれている二人の友人から、同じような感想を雑談の中で聞きました。
「”快”の動きを探りながら動くようになったら、これまでいかに不要なストレスを抱えて生きづらかったかがわかったんですよ。これまで、そのストレスのある”不快”な状態が普通で、それに耐えていくことが当然だと思ってたけど、それって、何かに、誰かに騙されていたみたい。仕事も楽しくはかどるし、毎日が軽やかです」
「“喉元過ぎれば熱さを忘れる”と言うけど、まさしく自分がどれだけ不快な状態で体を動かしていたかを忘れていたことに気づいたんですよ~。最近なんでこんなに多幸感があるのだろう、と思ってたけど、まずは体から、なのかもしれないですね。らせん流、まだまだ奥が深いぜー」
「昨年と今年の2月にらせん流を習ってから、生活にらせん流を取り入れてみると日々歩くことがラクで楽しくなり。気づくと走りたくなってきて、小さい頃から苦手で避けていたランニングまで始めるようになり…!
そこからなんとなくいろんなことがスムーズに動くようになってきたんですよ~。
最近、会社の設立をしたのですが、それがするするとできたのは、体力がついただけではなく、心と体の快を選択できる自分になってきているからだと思っているんです。いやぁ…動き方、侮れませんね!」
人間は、というか、動物は、本来、頑張らなくても動けるようにできているはずです。
頑張って動かなくてはならないのは、体の構造に反した動き方をしているからです。
その動き方を本来の構造に沿ったものに戻せば、体も心も生き方からも、不快な頑張りが減ってくる。面白いものです。
このことに気がついて「呪いの鎧」をはぐ人が出てくるほど、世の中軽やかに豊かになってくると思うんですよね~。
頑張ることに疲れた方、まずは体験会でお待ちしていま~す。

