
足の裏から頭の先、手の先まで全身が自然につながってしなかやに歩けると、こんな豊饒な幸せを感じることができるんだ!って静かに叫びたくなる経験をしました。
どんな体験だったって?
文章力の乏しさを痛感しながらも書いてみますね。
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郵便局にこの4月から受講することを決めた「稲の多年草化栽培研修」(この話はまたの機会にできればと)の受講料の振込みに行った帰り、少し遠回り。いつもの散歩コースの原っぱに足を運びました。
西に傾いていく太陽の光が大地に映し出す裸木の影絵が美しく、それを踏むようにゆっくりゆっくり歩きました。地球の肌ざわりを足裏で味わいながら。
すると、それまでと違う触感が薄目の靴の底から伝わってきました。
足元にあったのは苔でした。そのまわり6畳くらいの地面を苔が覆っていました。
これまで何度も何度も歩いてきたところだけど、その存在に気がつきませんでした。
湿り気と芯のある柔らかさに私の足は虜になりました。
6畳の「苔の間」を、行ったり来たり、行ったり来たり。
西日に向かって歩くときと、西日を背に歩くときで、異なる苔の色も変化も楽しみながら。
続けていたら、苔の間の周りの原っぱの大地が、私たちも愛でて、愛でてと言ってきたように感じました。
草と枯れ葉と霜柱の余韻を残したほこほこした土が織りなす模様が、地球がまとっている織物のように見えてきました。
どこもかしこも見事なデザインです。
一歩足を進めるたびに見える模様が変わってきます。
足が立てる音色も変わってきます。
同じ枯れ葉でも、カラカラっになった乾いた桜の落ち葉の上を歩けばスタカットがかかり、少し油分があってしなっとしたイチョウの落ち葉の上を歩けばスラーがかかったよう。
それを楽しんでいたら、体が芯からしなやかに舞うように弾みます。
全身が大地がつながりました。
もう、家に帰って仕事をしなきゃと思うのだけど、足がそこから離れません。
何度も、帰りかけたけれど、また戻ってしまいます。
「私の足は、体は大地に愛されている」
そんな思いがこみ上げてきました。
自身の全身がつながらないと、大地ともつながりにくい。
体の中がつながるほどに、大地ともつながれる。
大地とつながるほどに、空ともつながれる。
らせん流の歩き方、つまり体の構造に沿った歩き方を深めるほどに、そのことを実感してきました。
歩きを本来に戻していくと、こんなことが豊かなことが起きるんですね。
家に帰ってからも大地からの贈り物が体の中を潤し続けていました。

