「抜くことでも抜かれることでもなく、ただただ自分の中を駆け続ける」
今朝の朝日新聞、「天声人語」で紹介されていたこの一文に目が止まった。
作家、永井龍男さんの文章だ。
前の東京オリンピックのマラソンを観戦して書かれたものという。
私は当時4歳。そのころの他の記憶はほとんどないけれど、
なぜか、オリンピックの記憶だけはかなりしっかりある。
特にアベベ・ビキラ選手の記憶はハッキリしていて、
いつかマラソンを走りたいとおぼろげだけど、
思ったことも覚えている。
アベベ選手の走姿が醸しだす崇高で聖なる何かが、
4歳の私にも伝わったのだろう。
私がマラソンを好んだのも、「自分の中を駆け続ける」、
その感覚が愉しかったんだと、
この言葉に出逢って、改めて思う。
そして、それを可能にしてくれる環境に感謝しながら、
その日のために蓄えてきたものを信じ、
自分のイノチを全開にして
ただただゴールを見つめてひた走る姿が
傍で見る人の心に火をつける力があることを、
応援に駆け付けてくれた友人の言葉で知ったとき、
「独りよがり」ではなかったんだなと、
安心したのを思い出した。
その友人はその火が燃えさかる前に
若くして逝ってしまった。
今も自分の道をひた走っている感はぬぐえない。
天性マラソンランナーなのかもしれない。
今は、その姿で何ができるのか、問いはつづく。