昨日、北鎌倉の円覚寺境内にある龍隠庵で、
体からのアプローチを大切にされている禅僧・藤田一照さんがご指導くださる
「無心のマインドフルネス研究会」に参加。
その中で、
今、取り組んでいる仏教の経典『四念処経』にある一文について
ディスカッション中、
一照さんが
「僕は体は動詞、体はいつも現在進行形であるととらえている」
と言われた。
ガッテン、ガッテン、ガッテン!
私も
森羅万象、すべてが絶えず途切れることなく変化し続けていて、
何事も~ING。
その一部である体もしかり、と感じてきたから。
で、気づいた。
私たちが、現在形として使っている
例えば、
「走る」という動詞。
これって、ほんとに現在を表しているのかと。
「私は走る」
というとき、そこには、私の意志、意図が入っている。
英語で言ったら WILLが交じっているのではないかと。
それで走りだしてからは、
「走っている」
という表現にならないか?
あれ?
私たちが動詞で現在形と言っているものは、何?
動詞の種類にもよるのだろうけれど、
「日本語には現在形はなく、終止形があるだけ」という論説も読んだことがある。
言語学的ではなく
より楽しく生きる上で、
現在形と現在進行形の使い方の吟味って必要だよな
(特に和訳する場合)、
と気づいた昨日の研究会でした。
一照さん、研究会の皆さま、いつも刺激的な視点をありがとうございます。
本当にこの会は、カラダとアタマ歓びます。
写真は 土から離れてもどんどん成長しているフキノトウとフキの葉。
龍隠庵の床の間にて。