日常の一歩一歩の気持ちよさ自己ベストを目指す

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らせん流®タオRNNING倶楽部

ランニングセラピスト®小松美冬主宰 東京・国分寺を中心に教室を開催中

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ちょっと長いけど、素敵な体験をしたので、書いてみましたーーー。

伊那谷の老子と呼ばれた英文学者で詩人、
とりわけ英訳の「老子道徳経」を日本語に訳した「タオ―老子」(ちくま書房)で、
老子の世界を私にとって身近な存在にしてくれた
加島祥造さんのベストセラー詩集、
『求めない』(小学館)
を久しぶりに開いた。

その「はじめに」はこうだ。

誤解しないでほしい。
「求めない」と言ったって、
どうしても人間は「求める存在」なんだ。
それは承知の上での
「求めない」なんだ。

食欲性欲自己保護欲種族保存欲

みんな人間のなかにあって
そこから人は求めて動く――それを
否定するんじゃないんだ、いや
肯定するんだ。

五欲を去れだの煩悩を捨てろだのと
あんなこと
嘘っぱちだ、誰にもできないことだ。

「自分全体」の求めることは
とても大切だ。ところが
「頭」だけで求めると、求めすぎる。
「体」が求めることを「頭」は押しのけて
別のものを求めるんだ。
しまいに余計なものまで求めるんだ。

じつは
それだけのことなんです、
ぼくが「求めない」というのは
求めないですむことは求めないってことなんだ。

すると
体の中にある命が動きだす。
それは喜びにつながっている。

だけどね、
意外にむずかしんだ、だって
わたしたちは
体の願いを頭で無視するからね。

ほどよいところで止める――それがポイントだ。でも
それができなければ、ときには
もう求めない
と自分に言ってみるだけでいい。
すると、それだけでもいい気分になると分かるよ。

あらゆる生物は求めている。
命全体で求めている。
一茎の草でもね。でも
花を咲かせたあとは静かに
次の変化を待つ。
そんな草花を少しは見習いたいと、
そう思うのです。

ここにある「自分全体」が求めていること
「命全体」が求めていること

それが、
このところ、
あえて「ぼんやり」と坐っているとき
漠然とだけど、感じられるようになってきたかも?
思う。

あえて、なにもしないで、
目に映る空をぼんやり眺めたり、
肌に射す光をぼんやり感じたり、
耳に入ってくるものをぼんやり楽しんだり
鼻が動くものをぼんやり味わったり、

外界に対して
あえて「ぼんやり」しているとき

自分の体のなかに
自分の全容が
はなびらが開くように
やわらかに姿を現し、

それをゆったりぼんやりと
俯瞰しはじめる自分がいる。

それをつづけていると

縦横無尽に流れる
命存在が

狂おしいまでに
かたじけなく
愛おしくなる。

顔の表情筋の奥底から
笑みが湧き上がる。

この命を
愛して、愛して、愛していこう。

と思える。

この「はじめに」
につづき

詩集『求めない』は

「求めない――
すると……」という言葉を繰りながら、
この世界の豊かさ、美しさに気づかせてくれる。

どの言葉たちも静かに響くけれど、

たとえば、
こんな言葉がある。

「求めない――
するといまの自分が大切になる

求めない――
すると自分の声がきこえてくる

「求めない――
すると沈黙が生まれる。
(その静けさから
きみのなかのなにかが湧いてくる――愛かもね)

求めない――
すると命の求めているものは別のものだと知る

求めない――
すると「自然」になる

だって、自然はひとにもとめないからだ!」

これらの言葉たちが字面でなく、
入ってくるようになってきた。

なにかを求めてきた先に
見え隠れする
この純なる豊饒な世界。

慈しんでいこう。

 
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