2月5日、私の住む東京・国分寺でも10センチほど雪が積もりました。
豪雪地帯にお住まいの方々のご苦労を思うと、はしゃぐのも申し訳ないのですが、雪に化粧された世界でウキウキと遊んでいます。
雪と雨、成分は同じ水なのに、雪になるとこんなにも神聖に感じるのはなぜでしょう。
自然界も街も清らかなナニモノかで浄化されていくように感じませんか?
夕方、一仕事終えたところで、いつもの散歩コースの公園に長靴を履いてイソイソと出かけました。少し泥交じりの雪だるまがすでに何体も出来上がっていました。雪合戦、ソリ遊びで駆け回る子どもたちの歓声が飛び交っていました。
私も雪だるまを作りたい衝動にかられます。ですが、つけていた手袋があまりに薄すぎました。代わりに足裏で雪の感触をゆっくり丁寧に味わいました。
「フワッ、キュッ、フワッ、キュッ」
まるで雪の鳴き声のように感じます。
それを一歩ごとに楽しんでいくと、足の裏からなにやら神々しさをも感じる気が立ち上がってきて、全身がみるみる浄化されていくのを感じました。
全身がひんやりとしたクリアな気で洗われました。実に清々しい。
このように感じたのははじめてでした。
これまで足の裏で地球を感じ、空や樹々との交わりを楽しんできたからこそ、感じ得た感覚かもしれません。セルフケアで「ゆっくり丁寧に」体を感じることを心がけてきたご褒美だったかもしれません。
そういえば、以前、ゆる体操を考案された高岡英夫先生の下で長らく学んでいたのですが、そこで習った気功法に「新雪気功」なるものがありました。言葉のリードで新雪をイメージし、それを味わっていく功法でした。
やはり、雪には浄化作用があるのでしょうね。
仕事部屋の窓から見えるお向かいの屋根の雪が光っています。バックには春の光をたたえた空。この陽光で少しずつ融けてはいますが、もう少し雪、楽しめそうです。