最近の私の試みは、自然の中で幼児に戻ってみることです。
こうして毎週メルマガを書くとなると、まあ、意識的にも無意識的にも、日々の暮らしの中でネタ探しをしている自分がいるわけです。
そのおかげで、以前だったら、「あっ!なんかいい!これ!」って気づいても、「いいや、急いでいるから」って、通りすぎていたことの中に隠れているタカラモノに気づけるようになって、日々が味わい深くなっている。感謝です。
その半面、タカラモノに出逢ったとき、それを「すぐに」言葉にしようとする、それも読者を想定して、ちょっとカッコつけた言葉を探し出す自分が鬱陶しい時もあります。
言葉にしたとたん、その現象なり、体験は切り取られてしまう。まるごと全体でなくなる。切り落としたところにもっと味わい深いものがあったかもしれない。もったいないな~って。
食べものを口にしたとたん「美味しい!」って言っちゃうと、その先をじっくり味わえないから、感想は食べ物が喉を通りすぎた後に言った方がいい、ってことを前に聞いたことがあります。それと同じようなことが日々の体験でも言える気がするのです。
なので、楽しい経験をしている時に「あっ、自分、また、言葉探しをしている!」って気がついたら、「言葉をまだ知らない幼児になる」っていうのを、今試みてます。
たとえば、昨日、桜の落ち葉が敷き詰められた公園で、落ち葉と足の共演を楽しんでいるとき、落ち葉と足だけに意識を持っていってみました。
そしたら、出てくる言葉は「わ~」と「わ~い、わ~い」と「うふふ」と「へへへ」。
これって全部アタマでなく、カラダ発の言葉です。
それをしばらく楽しんでいたら、なんと、どんどん体も心も解き放たれ、ほころんでくるじゃないですか。
そこで浮かんだ言葉は「没頭」。
「没頭」って、言葉、作った人、すごいよな! 頭を没するって、よくぞ言った!
と、まあ、そこで没していた頭が復活した私でしたが(笑)、自然の中に入ったら、時には幼児になる、これおススメです。