先週の金曜日、秋分の日の朝の出来事でした。
高校で教師をしている娘、その日は仕事お休みなのに、いつも通りに目覚まし時計が5時30分に鳴りました。月曜日から金曜日まで同じ時間に鳴る設定にしていて、その解除を忘れたのです。
まだ起きたくないのにその音に私も起こされました。
ぼ~っとしつつちょっと不機嫌な頭がふと思いました。
「世の中から目覚まし時計が消えたとしたら、どうなるんだろう」
と。
今の日本の、特に東京の、きちっ、きちっと回っている社会の維持は無理だろな。
だって、目覚まし時計がなかったら、体と心が起きたいとなるまで起きないだろうから寝坊する人、続出。約束の時間に遅れる人、続出。
そのことで苛立つ人もいるかもしれないけれど、そういう人もイライラで寝不足が続いて体が参っていずれ寝坊「やあ、やあ、すまない、すまない。起きられないもんだね~」ってなる。
「みんなで寝坊すれば怖くない」ってなって、待ち合わせ時間の約束が成立しなくなる。それを繰り返すうちに、だんだん時間に鷹揚な社会になるかもしれないって。
それで時間を気にせず必要なだけ睡眠がとれると、心身ともにゴキゲンになるだろうから、かえってモノゴト、滑らかに進んだりしてって。
さらには、日の出とともに起きて、日の入りと共に休む、待ち合わせ時間は太陽の位置で決める。
そんな昔のようなお天道さまとともに生きる生活に戻っていって、体の中に眠っている野生が目覚めやすくなったりしてって。
まあ、そうなる前に起きる大混乱をどうするかは置いといて、それもよくない?って。
てな感じで、
「目覚まし時計ありきで成り立っている今の生活を当たり前と思っていること自体、どうなのよ!」
ともっと寝たかったのに起こされた不機嫌なアタマは考えたのでした(笑)
そして、「目覚まし時計だけでなくてさ、時計がなくなったらどうかな?」
とぼんやり考えたところで、二度寝に入った秋分の日の朝でした。
動きを体の構造に沿って本来に戻すために「ゆっくり丁寧に」を大事にしてきたら、この世が求めるスピードと効率についていきたくなくなっている、いけなくなっている。だから、こんなこと考えたのでしょう。
現実味ないけど、想像するのは自由だし、楽しいもんね。