日常の一歩一歩の気持ちよさ自己ベストを目指す

日常の一歩一歩の気持ちよさ自己ベストを目指す

らせん流®タオRNNING倶楽部

ランニングセラピスト®小松美冬主宰 東京・国分寺を中心に教室を開催中

ランニングセラピスト®小松美冬主宰 東京・国分寺を中心に教室を開催中

遅ればせながら11月23日開催の「眼包み(まなづつみ)」イベントのご報告。

「人と自然と穏やかにつながる”眼包み“体験のイベントでやったのは、

1-足をさすってから立ったり歩いたりして、足と地球に委ねる安らぎを感じる

2-鎖骨の中ほどから肩を回して、体幹部をほぐす

3-”眼包み“と”眼差し”の違いを、立位、挨拶、歩きで感じる

この3つのワークで「委ねて、開いて、受け容れると何が起きるかを味わう」でした。

“眼包み”は目の前の対象を、感情や思考を抜きにして、単に物として受け入れるように、包み込むように見る目の使い方。そしてそれをしてると、なぜか「眼包み」が「愛包み」になるんですね。“眼差し”は、それを自分で見にいく目の見方です。

イベントで感じたことを、まとめようとしたけれど、一人一人からいただいた感想があまりにステキだったので、そのメモからいくつか、そのままお伝えします。

「いかに地球に委ねるかが大事かを思い出した。このところ、自力で何とかしようとして力んでいた自分に気づいた」

「“眼差し”だと、集中しているようでいて、本来見たいものが入ってきてなかった。“眼包み”だと本来の自分の体と向き合える。競技でいい時の自分はこういう状態だった。”眼包み“は再現性があるのでありがたい」

「幼少期、野山を駆け回っていた時の自分を想い出した」

とは、トランポリンで日本代表クラスのRさん。

「子どもが↑のような感性を持っているのは、幼少期、自然の中で思い切り遊ばせたからでは? 自分も童心に返れて、幸せ、うれしい。体も心も歓んでいる。全身の細胞が歓んでいる。世界平和は、まずは自分が平和になることだとあらためて」

とは、Rさんのお母さん。

「”眼包み“をすると世界が柔らかくなった。たくさんのお母さんに伝えたい。最近のお母さんは子どもと目を合わさないので、子どもの目の焦点が合わなくなっているんです」

と、助産師さん。

その他、

「“眼包み”って、仏像の顔なんだと思った」

「“眼包み”すると世界が広がって、いかに普段が狭くて目を疲れさせていたかがわかった」

「“眼包み”と“眼差し”であいさつをした時の違いに驚いた」

「ケガをしてから歩き方に悩んでいたけれど、歩き方を本来に戻すと、こんなに楽なんだと驚いた!

「足の裏全体で立つことの気持ちよさがわかった。これまで母指球と小指球と踵の3点で立つというのを習ってやってきたけど、それよりラク」

「足をさすって立ったところから、体がどんどん開いて、出てくる言葉は、『あ~~~、あ~~~』。色々な思い込みを手放していけた」

「自然のものに、ムダなないんだと思った。らせん流の方法は誰にも伝わるからもっと広がるといい」

「人は体を自調できることを、みんなに伝えたい。“眼包み”をすると、体と心がほわっとする」

「“受け入れる”ことを、気持ちからでなくて、物理的に目の使い方から入るというのがありがたい」

「思考でなくて自然に任せてやり直してみようかと目覚めた」

「一人一人が立ち、その間を風が抜けていくのを感じ、幸せだった」

「委ねる」、「開く」、「受けいれる」

これは、らせん流が行きつくところの今のところ最前線。

体の構造に沿って動くと、誰もがその心境に至る、というのが人間のよう。

そして、「風貌が仏像のようになる?!説」誕生!

それを楽しんだ光あふれる晩秋の1日でした。

ご参加の皆さま、ありがとうございました!

【ヒトは体の構造に沿って立てば、みんな仏さま説】

遅ればせながら11月23日開催の「眼包み(まなづつみ)」イベントのご報告。

「人と自然と穏やかにつながる”眼包み“体験のイベントでやったのは、

1-足をさすってから立ったり歩いたりして、足と地球に委ねる安らぎを感じる

2-鎖骨の中ほどから肩を回して、体幹部をほぐす

3-”眼包み“と”眼差し”の違いを、立位、挨拶、歩きで感じる

この3つのワークで「委ねて、開いて、受け容れると何が起きるかを味わう」でした。

“眼包み”は目の前の対象を、感情や思考を抜きにして、単に物として受け入れるように、包み込むように見る目の使い方。そしてそれをしてると、なぜか「眼包み」が「愛包み」になるんですね。“眼差し”は、それを自分で見にいく目の見方です。

イベントで感じたことを、まとめようとしたけれど、一人一人からいただいた感想があまりにステキだったので、そのメモからいくつか、そのままお伝えします。

「いかに地球に委ねるかが大事かを思い出した。このところ、自力で何とかしようとして力んでいた自分に気づいた」

「“眼差し”だと、集中しているようでいて、本来見たいものが入ってきてなかった。“眼包み”だと本来の自分の体と向き合える。競技でいい時の自分はこういう状態だった。”眼包み“は再現性があるのでありがたい」

「幼少期、野山を駆け回っていた時の自分を想い出した」

とは、トランポリンで日本代表クラスのRさん。

「子どもが↑のような感性を持っているのは、幼少期、自然の中で思い切り遊ばせたからでは? 自分も童心に返れて、幸せ、うれしい。体も心も歓んでいる。全身の細胞が歓んでいる。世界平和は、まずは自分が平和になることだとあらためて」

とは、Rさんのお母さん。

「”眼包み“をすると世界が柔らかくなった。たくさんのお母さんに伝えたい。最近のお母さんは子どもと目を合わさないので、子どもの目の焦点が合わなくなっているんです」

と、助産師さん。

その他、

「“眼包み”って、仏像の顔なんだと思った」

「“眼包み”すると世界が広がって、いかに普段が狭くて目を疲れさせていたかがわかった」

「“眼包み”と“眼差し”であいさつをした時の違いに驚いた」

「ケガをしてから歩き方に悩んでいたけれど、歩き方を本来に戻すと、こんなに楽なんだと驚いた!

「足の裏全体で立つことの気持ちよさがわかった。これまで母指球と小指球と踵の3点で立つというのを習ってやってきたけど、それよりラク」

「足をさすって立ったところから、体がどんどん開いて、出てくる言葉は、『あ~~~、あ~~~』。色々な思い込みを手放していけた」

「自然のものに、ムダなないんだと思った。らせん流の方法は誰にも伝わるからもっと広がるといい」

「人は体を自調できることを、みんなに伝えたい。“眼包み”をすると、体と心がほわっとする」

「“受け入れる”ことを、気持ちからでなくて、物理的に目の使い方から入るというのがありがたい」

「思考でなくて自然に任せてやり直してみようかと目覚めた」

「一人一人が立ち、その間を風が抜けていくのを感じ、幸せだった」

「委ねる」、「開く」、「受けいれる」

これは、らせん流が行きつくところの今のところ最前線。

体の構造に沿って動くと、誰もがその心境に至る、というのが人間のよう。

そして、「風貌が仏像のようになる?!説」誕生!

それを楽しんだ光あふれる晩秋の1日でした。

ご参加の皆さま、ありがとうございました!

ブログランキング・にほんブログ村へ 

日常の一歩一歩の気持ちよさ自己ベストを目指す らせん流タオRUNNING倶楽部
 東京・国分寺を中心に教室を開催中です。

日常の一歩一歩の気持ちよさ自己ベストを目指す
らせん流タオRUNNING倶楽部
 東京・国分寺を中心に教室を開催中です。