5月8日の朝日新聞朝刊に、子どもたちの感染症が増えているという記事がありました。
コロナ禍のステイホームの影響で、免疫ができなかったのが原因の一つのようです。
「そりゃ、そうだよね…」とため息が出ます。
そんなところに、FBの「過去の思い出」として、コロナ騒動が始まってまもなく投稿した文が出てきました。
いつも心しておきたいことだったのに、ともすると忘れている自分に気づきました。
なので、忘備録として、少し手を加えて、こちらでもシェアさせていただきます。
*
「西洋医学は「衛生」、生を衛るに重きを置き、東洋医学は「養生」、生を養うが本流」
(当時)大学で「公衆衛生学」を学んでいた娘からこんな話を聞きました。
そこから、
「なるほどね!今のコロナ対策が、衛生が前面に出ているのは、そういうわけか。衛生と養生、その両方が必要だけど、「養生」の本質を、私たち、忘れているよね~」
という流れに話は展開しました。
そこで、久しぶりに本棚から「養生訓」(致知出版社刊)を取り出してみました。
ただし、「全文をとことん読みやすくした」超訳本。原本ではありません(^^;
冒頭に
「人の体は、父母から授かったもので、その源をたどると.天地まで行き着く。
人は、天地や父母の恵みを受けてこの世に誕生し、天地と父母のふところで慈しまれて育ったのであって、その体は自分ひとりだけのものではないのだ」
とあった。
「キターっ! これだよ、これ!」とうなずきました。
読み進むと、“「畏」が養生の要諦”という項がありました。
養生するための秘訣は、この一文字で表せる。
その一文字とは何か。
「畏れる」の「畏」、これである。
「畏れる」とは、「身を守る心の法」である。
「畏れる」という感情は、慎みにつながる出発点なのである。
「畏れれば、慎みが生まれる」。
だから、朱子は晩年、「敬」という字を解説した時に、「敬は、畏に意味が近い」といったのだ。
とのこと。
さらに、「養生の基本は楽しむこと」という項もありました。
楽しみは生まれつき備わった天性。
楽しまないと天地の道理にそむくことになる。
楽しむ気持ちを忘れないことが養生の本意である。
と。
「睡眠時間は短く」とか「口数は少なく」とか、具体的な戒めは、自分にできるかな~というものもありますが、基本はガッテンすることばかり。基本を押さえておくために、再度読み直してみようと思います。