いつもの森を歩いていたら、前方に光の円柱状の柱が見えました。

木漏れ陽のスポットライトのようであり、どなたか高貴なお方がおわしますかのようであり。
電気のスポットライトにあたるのは好きではないですが、太陽光となったら話は別。
その中に立ってみたくて、いそいそと足を運びました。
光の柱の中に入ってみると、いつもの太陽の光のここちよさとは質の違う穏やかで安らかなエネルギーが降り注いでいました。しばらく両手を広げ、天を仰いで佇みました。
斜め上空で輝いていた太陽に手を合わせたあと、太陽を背にしてみると、そこには私の全身と大樹の影が放射線状に美しく伸びていました。
その光の柱が立っていた小径は私にとって特別な場所でした。
31歳で右脚に力が入らなくなり、走れないどころかまともに歩くこともできなくなりました。当時、医者も治療師も原因がわからず治し方もわからず。
だったら、「自分で治したる!」と25年にわたってあれこれ学んだものの、光は見えず。
途方に暮れていた時、「もう、いい加減、外に答えを求めるのは止めなよ!体が動きたいように動いてよ!」という体の奥底からの呻き声が聴こえました。
おそるおそるこれまで学んだ知識を捨てて、その声に従って歩いてみたところ、自己最高のここちよさに満たされた動きが体から生まれ出たのです。
その場所がこの小径。つまり、らせん流ウォーク誕生の地です(笑)
「らせん流ウォーク」が生まれて7年。
この日私を招いた光の柱は、「あなたの前には光があり、光に導かれて進めば、進んだ分だけ道ができる。だから、力強く進めよ、進んでいけよ」と言ってくれているように感じました。
歩きの本質をよりわかりやすく書いて、より多くの方に届けたい、そんな思いでらせん流ウォークの本の企画、試行錯誤を繰り返して一年半が経ちます。
自分のコダワリの扱い方に悩みつつ、自分の足で進めた一歩に手ごたえを感じた日のことでした。
光が導く方向へ進みます。
それにしても、「妙なる」というのは、私にとっては最高級の質を表す言葉だけど、それが「女」が「少ない」と書くのは、どういうことやねん(笑)

