朝日新聞朝刊、鷲田清一さんのコラム「折々のことば」が好きです。
先日、武満徹さんの
「我々はゆっくりとした歩調を保たなければならない」
のことばにつづき、
「文化は時間の淀みに沈みこむばかりだと頽廃に陥るが、そこに孕まれた夢の胚子を請求に孵化させようとすると、畸形な物ばかり表れてはすぐに漂白される、そんな逆向きの頽廃がはじまると、作曲家は文明の今を憂う。歩みは未来に向けながらも「現在」に脚を深く降ろしていくのが芸術の役割だと」
と鷲田さんの説明がありました。
文化や芸術について、門外漢はだはだしい私です。
ですが、この言葉、歩くことにも通じるものがあるなぁと、何度も読みなおしました。
らせん流では、どんな動きもまずは「ゆっくり丁寧に」とお伝えしています。
ゆっくり丁寧に動くと、体の構造に沿って動くようになります。
骨が、骨の際の小さな筋肉たちもすべて引き連れて動いていきます。
私たちの体は骨で全身がつながっているので、自ずと全身が連動してきます。
全部位が必要なとき必要なだけ順繰りに動く。全身連動、これが私たちの本来の動きです。
一方、これをしないで、いきなり急いで動くと表面の大きな筋肉だけ使って、深部は取り残し。そんな動きばかりしていると、深部は凝り固まり、本来、ラクに気持ちよく動く体の足を引っ張っていきます。
その動きは、人間本来の、全身が連動する動きからすると「畸形」。体は徐々に「頽廃」していきます。
運動不足でも、もちろん体は「頽廃」しますけど。
今、私たちの日常は、まあ、せかせかせかせか(笑)
効率やらコスパやらが優先されて。
斉藤和義さんの「ウサギとカメ」の歌にあるように「目にも留まらぬスピードで やわなリーター(2番は「金の亡者」)が決めたスピートで」世の中回っています。
だからこそ、日常の中で自分をリセットするために、私はゆっくり丁寧に歩く時間をもつようにしています。
足の裏で床なり、大地をゆっくり丁寧に味わうように歩く。
すると大地からの力が背筋を通って天に向かってくる。
それに身を委ねてみる。
思考がひといきつき、ほっとしている自分がそこにいます。
おすすめの「護身術」です。