私の書く文章では、体は「整える」ではなく、「調える」となっているのですが、そのコダワリには理由があるんです。
「整える」というと、私にはなんか整理整頓のイメージが湧いてきませんか?
たとえば、仕切りある箱や棚に、それぞれ入るべきものがきちんと入っている、って感じ。出したらそこにまたちゃんと戻さなくてはならない、そんなイメージです。
これって、なんか硬い。
流動性に乏しく、固定的にすら感じてしまうのです。
直立の状態で、背骨は真っすぐで、肩や腰の高さも左右同じ。腕の長さも脚の長さも同じ。それを理想とする、そんなイメージにつながってしまうのです。
いい姿勢のつくり方に、壁の側に立って、どことどこが壁についていればいい、というような指導があるけれど、私の感覚では、あれが「整える」です。
けど、私たちの体は流動体で、絶えず全身がひとつになって「調和」を目指して変化し続けている存在なんですね。
移動しているときも、じっとしているときも、それぞれの部位が助け合い、補い合い、より気持ちよく生きる方向を目指して全身が動き続けている。
体の中に箱や棚の仕切りはないんです。だから、整理整頓のイメージが強くなる「整える」でなく、全身の調和をイメージしやすい「調える」の方が、体の実態にあっていると感じています。
「整える」だときちんとしてなくてはならない感じだけど、「調える」だと「融通無碍」を目指したくなる。そんな気がしているのです。
それともう一つ、私、実は、整理整頓が苦手。これも「整える」を避けたくなる理由のどこかにあるかもしれませんが(笑)
*写真はワークショップで歩く湧水。この流れをじっと見つめては自分の体の中を感じてみるってこと、時々しています。