「私は何を希望することがゆるされているのか」
今朝の朝日新聞の「折々のことば」はこれだった。
哲学者カントが人間の理性が関心を持つ問いは、
三つに約められているとして、その三つ目に揚げたのが上のもの。
「コロナ禍のさなか、本当に突きつけられているのは、この問いかもしれない。
自然への人類のこれまでの傲慢な接し方、「これは戦争だ」といきり立つ姿を顧みれば。」と 筆者の鷲田清一さんは言う。
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自然界のひとつの生物として、
自分の体の中にある方向指示器がどこを指しているのか、そこを見る感度を上げて、
慎みを持って生きたい。
『養生訓』にあった。
養生の要諦は、畏れだと。
天道をいつも畏れ敬い、
謹んで従うようにし…
畏れるという感情は、
慎みにつながる出発点。
畏れれば慎みが生まれる。
そして、それは敬いにつながる…と。
「恐れるなら、畏れよ」
とコロナは言っているのかもしれない。
と書いて、自分の中の傲慢が疼く。