少し長めです。
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「体に任せて動く」
「体が動きたいように動く」
私の投稿でよく出る言葉であり、
らせん流のワークショップでよく使う言葉だ。
その言葉について、
それだけだとわかりにくい、
というご意見もある。
ワークショップでは、
それを実践できるように
手だての工夫、
それが一番の仕事であるようにも思う。
その工夫には、
なぜ、この言葉に
難解を感じるのか、
その原因を見つけ、
それを取り除けるようなアプローチが
必要なんだろうな、と考えていて、
ある出来事を思い出した。
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2年ほど前のことだろうか。
「らせん」という言葉が、検索で引っかかって
個人レッスンを受けにいらした方がいた。
ある悩みを解決したくて、
よさそうと思うものがあったら
日本全国、ところかまわず、
習い続けていらした方だった。
私もいい思ったものは、
どこでも学びにいくタイプだったけど、
私の比ではない学びの多さだった。
それでも、彼女の問題はなかなか解決の糸口をみつけられなかったらしい。
その悩みとは、
「太りやすいから運動で痩せたいけれど、
運動が好きでない。動くのが楽しくなりたい」
ということだった。
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最初のレッスンで、
「らせん流って言っても、どこをどう動かしたらいいという方法はないんですよ。それは、ご自身の体が知っているので、
どうぞ、まずは体が動きたいように、体が気持ちいいように、動いてください」
と言った。
「えっ?」という顔をされた。
「はい、動きたいように動いてちゃってください!」
すると、彼女は
はじめは戸惑いながら、
でも、すぐに、体を内側から解放するような動きをしはじめ、
「自分が生きたいように生きていいんですね!」
と、嬉しそうに言った。
その声は小さかったけれど、
勢いは叫びだった。
「えっ、私、そこまで言っていないんだけど…」
と、心の中で思いながら、
彼女がうれしそうに、楽しそうに歩き回るのを見ていた。
その動きは、
私が、「なんの根拠ないけれど、自分は大丈夫!」
と感じられた時の動き、
つまり、
背骨に沿ってらせん状の気持ちよさが天地間を上下動する動き、
のちに「らせん流ウォーク&ラン」と名付けた動きをしていた。
伝えることは、それで終わりだった。
彼女は、
「これまで教わったもので、一番わかりやすい、腑に落ちる指導でした」
といって、帰られた。
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翌日、メールが来た。
「実は、私、過食症なんです。
でも、昨夜は、吐かずにすんだ。
吐こうとしたとき、体に訊いたんです。
吐きたい?って。
そしたら、吐きたくないっていうので止めました」
不意打ちを食らって
涙が出た。
もちろん、これだけで
彼女は悩みを解決したわけではないだろう。
けれど、
動きたいように動く、
この自由の中に、
光を見たようなのだ。
*
人は今、
「動きたいように動いていい」
この言葉に、
奇異、抵抗、意外、難解、不可解を感じてしまうほど
硬い何かを身に着けてしまったのか。
そう考えては
単純な私の頭に浮かぶのは、
やはり、
「考える前に
体が動きたいように動こうよ!
まずは、だぁれも見ていないところでさ」
なのだ。
★写真はらせん流ワークショップの恒例ワーク「放牧!」(体の、足の赴くままに動く)中の様子。
59小松美冬、門脇 徹、他57人コメント2件シェア3件いいね!コメントシェア