お恥ずかしい話だけど、
動きのこと、体のこと、
私にとって新しい気づきの8割が
朝目覚めて、布団の中でもぞもぞ動いている時に起きる。
それはふと目覚めてしまった夜明け前のこともあるし、
寝過ごしてからの8時台のこともある(´;ω;`)
今朝もそれは起きた。
実は、4か月前から左腕が痛い。
私が、らせん流ウォーク&ランのワークショップでお伝えしているワーク
そして、自分だけで自分のメンテのためにしている静功(ただ坐る)をしてきたが、
状況は一進一退だ。
*
33年前にロードレーサーで転倒。
3日間意識不明になった時に、左半身を激強打した。
その時、体にしこたま与えていたにもかかわらず、
なんのケアもせずに体の奥に押し込んでいたダメージが
今に出ているような感じだ。
当時、表に出た症状としては、
肋骨骨折と軽いむち打ちだけだった。
その事故を起こしたのは、
3か月後に控えた東京国際女子マラソンに向けて、
本格的なトレーニングを開始した直後だった。
その大会、前年の成績が評価され、招待選手になっていた。
だから、みっともない走りはしたくない。できない。
その思いの強さで、
入院中から、こっそり裏の非常階段を上り下りしたり、
リハビリ室に潜り込んで歩いたり、
退院後の通院を走ってしたり。
肋骨と首にサポーターをつけたまま(´;ω;`)
ホント、今思うと、鬼バカ、私。
そんでもって、
そのツケが33年後に
たくさんの利子をつけて
お出ましになったようなのだ。
*
体の叡智なるものを説く私だから、
その痛みに対しても
体に訊いてあれこれしてきた「つもり」だった。
でも、それは、
まだまだ、
「つもり」でしかなかったことに気づいたのだ。
体に
「どう動いたらいいの?」
「どう動きたい?」
と訊くところまではいい。
ところが、
体がそれで動きだしてしばらくすると、
「やっぱりそうだよね、その動きだよね、ほら、私の説通りじゃん!」
となり、
そう思ったとたん、
その説に体を合わせにいってるのだ。
私ったら(´;ω;`) 大バカ!
ああ、このアタマの我の強さよ(´;ω;`)
*
で、アタマを鎮めて、体の導くままに動いていくと、
微細ならせん状の動きが背骨の際の際に起き、
得もいわえぬ”快”が背筋に沿ってゆっくり走る。
それが末端に伝わっていく。
その得も言われぬ”快“の海に
全身の細胞が浸っている。
それで、あれ?
腕痛くないじゃん!
奇跡!
なんて、オメデタイ話には
残念ながらならない。
そんなに体は甘くない。
だって、33年も放っておいたんだから、
その恨みの深さはハンパないはずだ。
*
でも、この痛みは、
自分の我の強さ、
そして、体にゆだねきったときに
人智を超えたところから
もたらされるものの崇高さを感じさせてくれた。
*
これからも
放っておいて「ごめんね」と、
そんな状態でも動いてきてくれて、
「ありがとう」を繰り返しながら、
ゆだねられるだけ
ゆだねていこう。