昨日は、
今や自分的に月一の恒例となった、
祖師谷大蔵での個人レッスンからの
江の島の海経由、
北鎌倉円覚寺での「無心マインドフルネス研究会」へ
の1日。
これまで江ノ電からの海の眺めで満足するケースが続いていたけれど、
今は夏だしね。
海に足だけでも触れたいなと思って、
あえて、時間をたっぷりとった。
浜に下りて、裸足に。
オシャレになった海の家を抜けて、
DJのおしゃべりが潮騒に交じる波打ち際へ。
江ノ電の駅名でいえば、「江の島」と隣の「腰越」の間を行ったり来たり。
往と帰り、同じところ歩こうものなら、
波がバシャバシャ、まくり上げたズボンにかかってくる。
潮が満ちる早さに驚く。
海には、多国籍の老若男女が
もれなく、はちゃけている。
夏×海で、人は子どもに還っていく。
その無邪気な姿は、
見ているだけで楽しくなる。
同じ夏でも、山ではこうはならない。
海は自分のうちにあるものを外に解き放ち、
山は自分のうちを鎮めさせ深めていく。
エネルギーの流れる方向が異なるようだ。
そんなことを想いながら、
ゆっくりゆっくり、
足の裏で浪打際の浜の感触を楽しむ。
時に立ち止まり、
寄せては返す波を見入る。
江の島の海水は、
決してきれいとは言えないけれど、
砕け、はじけ、飛び散り、沁み込む
一粒一粒の水滴を見ていると、
海の水そのものが、生きものだと感じる。
これまで感じたことのない親近感を覚える。
波が引いた直後の光る浜をよく見ると、
そこには、
かつてある論文でみた大動脈の内壁と似たような模様、
斜めの格子状(菱形を並べたような模様)の筋がついていた。
その論文には、大動脈は「らせん状」に流れていて、
それを、促すように内壁の形がそうなっているのでは、とあった。
海水と血液、成分が似ているだけではないようだ。
月一の海詣では、当分続きそうだ。