~ あなたを通して、すべてのイノチを生かしなさい ~

トイレでふと、「ああ、私はいま、生きてる」と感じた話。
でもそれは、詩的なムードに浸っていたわけではありません。
もっとずっと、生々しくて、圧倒的にリアルな感覚でした。
大便と、新陳代謝の証し
大便には、食べ物のカスだけではなく、
新陳代謝で古くなった細胞たちの亡骸――
腸内細菌の死骸や、はがれ落ちた腸の粘膜も含まれています。
それは、体が日々生まれ変わっている証。
小便と、全身の働きの集大成
小便は、全身の細胞が活動した結果、
不要になった老廃物を血液が集め、
腎臓がろ過してくれたもの。
腎臓や膀胱だけでなく、心臓も、血管も、神経系も……
**全身のすべてが働いてくれているからこそ、「出る」**んです。
命の大いなる協働システム
「出る」という、たったそれだけのことの背後に、
私の意識が一度も指示していない、
命の大いなる協働システムが、見事に作動している。
その働きに触れたとき、内側から湧いてきたことばがありました。
I am living.
そして思い出したのが、詩人ロジャー・S・キーズの詩「Hokusai Says」の一節。
Let life live through you.
命が、あなたを通して、生きる。
「許す」という訳に、違和感があった理由
多くの訳では、
「命があなたを通して生きるのを許してあげて」
とされていましたが、
「許す」という訳に、私は違和感を覚えました。
命が、私を通して生きようとすることに、
許すも許さないもない。
命は、ただ、生きたがっている。
それに対して私ができることがあるとしたら――
邪魔しないこと。調えて、通してあげること。
私の中から出てきた訳
だから、私の中から自然に出てきた訳は、こうでした。
「あなたを通して、すべてのイノチを生かしなさい。」
それは、「私の命」だけじゃありません。
森羅万象、見えるものも、見えないものもふくめた、
**LIFE(イノチ)**そのもの。
命が、私という通り道を通って、生きようとしているなら、
私がすべきことは、ただひとつ。
体を調え、流れるようにしておくこと。
今日も、「ありがとう」と手を合わせるように
今日もまた、何気ない排泄のひとときに、
命が生きたがっていることを感じながら、
そっと、手を合わせるような気持ちになります。
あなたの中でも、今日も命が、見えないところで働いています。
あなたという“道”を通って、生きようとしているすべての命に――
ありがとう。
あとがきに代えて
この「Let life live through you」という一文に出会ったのは、
あるマインドフルネスの本の中でした。
でもそこに添えられていた訳は、
「ありのままの自分を生きて」。
……なんだか、どうしてもしっくりこなかったんです。
私がこの一文に感じたのは、
“自分が主語”ではなく、“命が主語”になる感覚。
命そのものが、私という通り道を通って、生きていくということ。
それは、「自ら」ではなく「自ずから」に近い。
らせん流が大切にしている世界観とも、深く響き合っていました。
こうして、違和感から始まったこの言葉は、
今では私にとって、大切な“生き方の道標”になっています。
そして、らせん状にオチがやってきた…
……と、ここまで真剣に書いていたら、
なんだかお腹の底がムズムズ。
するすると体が動き出し、私はトイレへ。
で、思い出したんです。
小も大も、便りはらせん状になって出てくるんですよね(笑)
この世に「直線的な出し方」なんて、そもそもなかったのかもしれない。
やっぱり、命の流れは、らせんなんだなあ……と、
身をもって再確認したところです。
らせん流便りも、あなたの中を、するすると通っていきますように。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
らせん流
小松美冬


















