*写真の意味を知りたい方は、最後まで読んでね。
*昨日の投稿の改訂版です。
6月13日(土)、
体からのアプローチで自分の可能性をとことん楽しむ会(仮称 らせん流研究会)を、はじめてzoomで開催してみました。
ホストである私のパソコンが突如、再起度を始め、
私が画面から消えるというハプニングで真っ青。
でも、
らせん流のことを卒論で取り上げたいという娘が
隣の部屋で本人のパソコンから参加していたので、
飛んでいき、そこから参加するというドタバタ。
そして、なぜか、ホストが自動的に参加者の一人に移されていて、
運営もなんとかなり・・・。
そんなトラブルも全部楽しめた時間でした。
*
この会は、
らせん流6コース連続ワークショップ修了者の集まり。
「体って面白いね、すごいね」
「アタマの“~ねばならぬ”から体の“~したい”に沿って生きれば、楽しいね!」
「でもね、まだまだアタマで考えちゃうね」
「でも、あきらめないで続けることが大事かも」
「日々体は変わるので、過去の気持ちいを求めてもだめみたい」
「正解を求めるのではなく、過程を楽しんでいく、そこが面白いよね」
「らせん流は、歩き方、走り方に留まらず、生き方をも変えるものだね~」
6コース連続で、
何枚も目から、あるいは全身からウロコを落とし、
体の叡智のスゴサに触れて、
体の使い方について、体への対し方について、
無理してガンバルことから、
自然の理に沿って快に向かえばいい
と大きく舵を切った後の人たちの集まり。
らせん流で掴んだことを、
それぞれが楽しむ多彩な分野で活かして、
その成果なり疑問を持ち寄り、
柔らかく刺激しあい、
難しくいえばなにか普遍的なものに通じる道を
皆で切り拓いていっている感覚がなきにしもあらずの集まり。
ここに集まるみなが立つ土壌の栄養は、
「ご自愛」。
「ご自愛」がベースにある人同士のつながりは
風通しがよく、心地よい。
らせん流で私が目指すものは、
お役所的な説明でいえば、
体の健康、心の健康、社会の健康
私が好む言い方をすれば
自愛から生まれる慈愛の和と輪を広げていくこと
そんな可能性の萌芽を
この集まりに感じるのだ。
*
そんな思いをいだきながら
今回、私からご紹介したワークは、
参加者の方から、
「力が通るってどんな感じなのか、わかりやすく説明してほしい」
というお題に対する
現段階の答え。
「雑巾って、絞ると真ん中に芯が通って強いけれど、
そこは、実は空洞。それがらせん状に絞るという動きによって
その空洞が芯になっている。そんな感じで、芯って元々あるものでなくて、らせん状に動く過程で立ち上がってくるもの。そのように私は感じています」
という説明をしてから、
「イスにゆらぎながら坐って、座面から押し上げられる力を
上.に、上に伝えてみましょう。
すると、自然に背骨に沿って芯が立ち上がりませんか?」
なんてことをして楽しみました。
*
zoomで、顔見て、皆で「快」の動き、
生き方について、体験を通しての話をできてうれしいけれど、
zoomだと、なんとなくお行儀よく並んでいるためか、
瞬時にツッコミが入れにくいのが難点(笑)
だから、次は、リアルでできるといいなぁ~。
ツッコミから生まれる発見も多いから。