今回の台風で被災された方々を案じ、
救援・救助に奔走される人たちへ敬意を抱き、
ともにエールを送りながら
自分が今なすべきことに専心しようとしつつ
一体、あれは、何だったんだろうと、
時折アタマをよぎることがある。
*
台風19号が関東に近づいてきていたとき、
朝顔の支柱をフェンスにしっかりと結びつけるのを忘れた ことを思い出した。
風雨が一時、小康状態になった時、
家族の軽い反対を押し切って外に出た。
外は
一見、一聞(と言う言葉はないな)静かだった。
しかし、そのすぐ隣の空間には、
すさまじいエネルギーの蠢きがあるのを感じた。
全身が注意深さの塊になっていた。
全身の感覚器のスイッチを
バチバチバチバチとONにしたような感覚。
フェンスに麻ひもでがっちり支柱をくくりつけているとき 、
風が上空で
ゴーゴーゴーゴーと深いうなり声を上げていた。
「コワイな」と思うと同時に、
自分の体の奥底で「ゾワッ」と、
それまで眠っていた「ナニカ」が反応した。
それは逞しい色を帯びた、コワサと隣り合わせの、
ある種の快感だった。
理性で思い切りブレーキを踏んだが、
一歩間違えれば、
正直、
原っぱを思い切り駆け巡りたくなるような
衝動もなくはなかった。
*
家に入ってからも、
壁と屋根越しに風の音は聞こえた。
でも、
あの「ゾワッ」は起きず、
ただコワイなと。
怯えに近い状態となっていた。
ところが家の中でも、
朝顔の支柱をフェンスに括り付けている時、
体の中に起きた感覚を思い出すと、
体の中心にしっかりした芯が生まれ、
キリッとし、
まあ、なるようになるだろうと思えてくるのだ。
体は覚えていた。
あの感覚を。
*
なんだろう、あの「ゾワッ」の力は。
あれは、
人間が考えた分野では呼び出すことのできない
「ナニカ」に違いないと思う。
「野性」といえば、そうかもしれない。
幸い、うちもうちの周りも、大きな被害はなかった。
けれど、次はわからない。
自然から生まれ、
自然の一部である私たちが、
「自然災害」と人間が呼ぶ自然界のパワフルな出来事に対 する時
あの「ゾワッ」から生まれた
「キリッ」とした逞しい感覚は、
どう生きるのだろうか。
と、守られ過ぎた環境の中で、萎え過ぎた自分に気づきな がら思う。
救援・救助に奔走される人たちへ敬意を抱き、
ともにエールを送りながら
自分が今なすべきことに専心しようとしつつ
一体、あれは、何だったんだろうと、
時折アタマをよぎることがある。
*
台風19号が関東に近づいてきていたとき、
朝顔の支柱をフェンスにしっかりと結びつけるのを忘れた
風雨が一時、小康状態になった時、
家族の軽い反対を押し切って外に出た。
外は
一見、一聞(と言う言葉はないな)静かだった。
しかし、そのすぐ隣の空間には、
すさまじいエネルギーの蠢きがあるのを感じた。
全身が注意深さの塊になっていた。
全身の感覚器のスイッチを
バチバチバチバチとONにしたような感覚。
フェンスに麻ひもでがっちり支柱をくくりつけているとき
風が上空で
ゴーゴーゴーゴーと深いうなり声を上げていた。
「コワイな」と思うと同時に、
自分の体の奥底で「ゾワッ」と、
それまで眠っていた「ナニカ」が反応した。
それは逞しい色を帯びた、コワサと隣り合わせの、
ある種の快感だった。
理性で思い切りブレーキを踏んだが、
一歩間違えれば、
正直、
原っぱを思い切り駆け巡りたくなるような
衝動もなくはなかった。
*
家に入ってからも、
壁と屋根越しに風の音は聞こえた。
でも、
あの「ゾワッ」は起きず、
ただコワイなと。
怯えに近い状態となっていた。
ところが家の中でも、
朝顔の支柱をフェンスに括り付けている時、
体の中に起きた感覚を思い出すと、
体の中心にしっかりした芯が生まれ、
キリッとし、
まあ、なるようになるだろうと思えてくるのだ。
体は覚えていた。
あの感覚を。
*
なんだろう、あの「ゾワッ」の力は。
あれは、
人間が考えた分野では呼び出すことのできない
「ナニカ」に違いないと思う。
「野性」といえば、そうかもしれない。
幸い、うちもうちの周りも、大きな被害はなかった。
けれど、次はわからない。
自然から生まれ、
自然の一部である私たちが、
「自然災害」と人間が呼ぶ自然界のパワフルな出来事に対
あの「ゾワッ」から生まれた
「キリッ」とした逞しい感覚は、
どう生きるのだろうか。
と、守られ過ぎた環境の中で、萎え過ぎた自分に気づきな