
「どう在りたいか」から始まる文章
季節は「穀雨」。
市民農園で初挑戦する「里芋」。
芽出しはポットでしているのですが、
種芋から逞しい小さな芽がツンと出てきて、
朝夕見守るのが楽しい日々です。
さて、今回は、前回でお知らせした
「らせん流8周年記念イベント」の案内文を書きながら気づいたことを、
綴ってみたいと思います。
伝えたいのはイベントじゃない。
…とか言ってイベントの話してます(笑)
案内文が「ただの情報」にならなかった理由
こんにちは。らせん流の小松美冬です。
今、5月末に行うイベントの案内文を準備していました。
元ラグビー日本代表・宮下哲朗さんと
「“快”に従って生きるということ」について語りながら、
そこで出てきた「らせん流ワーク」もして、体で感じていくイベントです。
ふつうは「日程」「内容」「会場」など、
情報を整えて、サクッと仕上げてしまうのが案内文の役割かもしれません。
でも──
「うーん、なんか違う…」
と思わずつぶやいてしまう自分がいるんですね。
一文一文と向き合っていたのは
気づけば、
一文一文の言葉を、何度も書き直している自分がいました。
- 「“今”って、どんな今?」
- 「“そんな自分”って、誰のこと?」
- 「宮下さんが感じたものを、どう伝えたら届く?」
その問いに、AIの歩(あゆむ)さんとやり取りしながら、
気づけば何時間も経っていたのですが、
その時間が終わったあと、ふと、あることに気づきました。
私が探していたのは「言葉」ではなく…
私は、“伝える言葉”を探していたのではなく、
“自分の在り方”を確かめていたのだ、と。
「案内文を書く」という“DOING”をしているようで、
その根っこには、
「どう在りたいか」という“BEING”がずっとあったのです。
本当に伝えたかったこと
私が本当に伝えたいのは、
「こんなイベントがあります」ではなくて、
“私たちは、こんなふうに生きたいし、動きたいと思っている”ということ。
それを、ただの情報としてではなく、
言葉の一つ一つからも、
読んでくれる人の体がなにか気づくものがあったらうれしいな
と思いながら、書いていたのです。
BEINGでDOINGする
ああ、私は今、
“どう在りたいか”というBEINGからDOINGをしようとしていたのかもしれない。
BEINGでDOINGをする……
在り方を本来に戻して、その自分で行動する。
これこそ、今の私の望む生き方で、
それをしようとしていたのだなと。
らせん流の「流れ」そのもの
案内文にこだわる理由が、自分でもわかりました。
ただの作業じゃなかった。
気づけばこれは、
らせん流の“看板”でもあり、“道”でもあり…
まさに、らせん流の“流れ”そのものだったのかもしれません。
よかったら読んでみてください
よかったら、そんな想いの詰まった案内文、
時間切れで不十分なところもありますが、読んでみてください。
👉【“快”に従って生きると、何が変わる?】
元ラグビー日本代表と語り、動いて、感じる時間
▶︎ イベント案内はこちら
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もし、見た目の進みが悪い時、
それは要領が悪いのではなく、
自分の在り方を調えたがっているサインかもしれませんね。













