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日常の一歩一歩の気持ちよさ自己ベストを目指す

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ランニングセラピスト®小松美冬主宰 東京・国分寺を中心に教室を開催中

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Special Thanks!! ~数々の人生の師との出会い~

これまでの半生を振り返ってみると クジ運は全くないけれど 人との出会いの運には、本当に恵まれてきました。

もちろん すべての出会いが 今の私と、 私がご提供させていただいているものを創っているのですが
なかでも、 その核となる部分に 深い影響を与えてくださっている師たちがいます。

その方々から 直接に あるいはご著書から学ばせていただいたこと 学び続けていることは、 らせん流RUNの源流にあるものです。

からだの底から、こころの底から 感謝と敬意をこめて

大切な師たちとの出会いの経緯と 彼らがたどり着いている壮大で深遠な世界の中で 私が大切にしている 言葉と考え方の一部を 形式にこだわらずに ご紹介いたします。

Special Thanks!!数々の人生の師との出会い 目次

からだの叡智のすばらしさ、東洋的思想に興味を持たせてくれた 《ティモシー・ガルウェイ氏》



『インナーゲーム』(ティモシー・ガルウェイ/日刊スポーツ刊)
『インナーゲーム』(ティモシー・ガルウェイ/日刊スポーツ刊)

出会い


私の高校時代は硬式テニス一色でした。

練習は好きで、そこではナイスショットを打てるのに
試合になると、ラケットを握る手が震えるほどのビビりでした。

そこで、「なんとかして試合でも強くなりたい」と悩んでいたときに、
本屋で見つけたのが、『インナー・ゲーム』(後藤新弥訳・日刊スポーツ刊)でした。

その著者がティモシー・ガルウェイ氏でした。

ガルウェイは、東洋思想に精通しているプロのテニスコーチ。
『インナーゲーム』は、顕在意識による命令、評価の声を黙らせて、潜在意識に任せて動くことで 人が本来持っている能力を引き出す方法、

いわば、無の境地で動くことへの到達方法を説いた本でした。

その本の影響でスポーツ心理学を学びたいと、大学の心理学科に進んだものの、
質問紙による心理テスト、動物実験、そして、パソコンでのデータ処理という心理学の基礎的な勉強に身が入らず。

テニスと洋菓子づくりに夢中になっていました。

しかし、卒論だけは初志に戻ってしっかり書こうと
日本体育大学の大学院の先生のご指導もいただきながら
『インナーゲーム』で書かれていた理論をテニスコートで実験。

「何をどうするか」の指導ではなく、「自分のからだがどう動いているか、どうなっているかを感じて」という教示の方が、よいパフォーマンスになることを検証しました。

審査をした教授の評価は「これは学問とは言えない」。成績は悪かったけれど、あとからその先生が「あなたのようなチャレンジがこれからは必要だ」と。

既存のものの枠に収まっているだけでは、飽き足らない気質に火をつけていただきました。


大切にしている考え


『インナーゲーム』より

・自分のしていることを評価せずに観察しなければならない。

・本能(潜在意識)を信頼すること。

・自分のからだがどうなっているかを感じると、ベストパフォーマンスが出る。

・インナーゲームの真実のゴールは、奥深くに潜む真実の「自分」。




自分のからだとの対話を楽しみながら、強くなる方法を教えてもらった 《アーサー・リディアード氏》




1989年 ニュージーランドランニング遊学中に、 リディアード氏にお会いできる幸運に恵まれて。
宝物のツーショットです。
1989年 ニュージーランドランニング遊学中に、 リディアード氏にお会いできる幸運に恵まれて。 宝物のツーショットです。


出会い


20代のうちに1年は外国で生活したいと、
28歳のとき、ワーキングホリディビザを持って
ニュージーランドに渡りました。

ニュージーランドを渡航国に選んだのは
人が思わず走り出したくなる大自然が日常の空間にあること、

今世界で行われている中・長距離のトレーニング方法の基礎を築き
世界で最も偉大なランニングコーチと言われるアーサー・リディアード氏がいて

彼の指導の下、心臓病の罹患者のリハビリとして、ジョギングというものが始まった地であること、

その地を思う存分走り回りたい、
そして、もし、リディアード氏にも会えたらなぁ。
でも、彼は世界中をランニングの指導で飛び回っていると聞くし、連絡先もわからないから、無理だろうなぁ。

そんな思いでした。

ところがつきすぎていることに
ニュージーランドでたまたま入ったランニングクラブのコーチが
なんとアーサー・リディアード氏の愛弟子でした。

渡航して半年後
私がホームステイしていた街で
高校生とその指導者を対象にしたリディアード氏の講演会があったのです。

もちろん、飛んでいきました。
最前列に座って
ありったけの英語のリスニング力をかき集めて聞きとろうとしました。

しかし、彼は現地の人でも聞きとりにくいほど早口。
話の細かいところは全くわからず。

それでも、その存在そのものからあふれ出る
衰えることのないランニングとランナーへの愛に感動しました。

講演会終了直後に、歩み寄り、
ニュージーランドに渡航後すぐに地元のランナーから紹介され一読して感動していた

『RUNNING WITH LYDIARD』(邦題『リディアードのランニングバイブル』)

の邦訳の許可を得ただけでなく、直にご指導いただく光栄にあずかったのです。

『RUNNING WITH LYDIARD』は
地元のトップから市民レベルのランナーたちの教科書になっている、
まさに、ニュージーランドのランナーのバイブルでした。

リディアード氏は、
そばにいるだけで、走りたくてたまらなくなる、
自分ももっともっと速くなれると思えてくる、

そんな存在でした。

それはきっと、彼自身がランニングとランナーを
深く熱く愛していたからだと思います。

リディアード氏のトレーニングシステムは
スポーツ科学もほとんど発達していない時代に、

実践の場で、自分自身を被検者にして走り
試行錯誤を繰り返しながら創り上げられた

今の言葉でいえば、まさにホリスティック、全人的なトレーニング法です。

彼はその方法をもって
多くのオリンピック金メダリストを育てました。

しかし、彼が何より大事にしたことは
走ることを通して、人生を謳歌することでした。

「競技スポーツで成功をおさめるために必要な体力づくり
あるいは何百万人ものランニング愛好者やジョガーに幸福をもたらす手段となる体力づくりに
リディアードははかりしれない恩恵をもたらしてきた。
今後、彼のこの業績に匹敵することを成しえるコーチが現れるかどうかは疑問である」

と、『リディアードのランニングバイブル』の原著の共著者、ガース・ギルモア氏は、記しています。

人生を謳歌する走りをつづけて、その楽しさを伝える—。

私もリディアードに続きます。


『リディアードのランニングバイブル』の原本、「RUNNING WITH LYDIARD』の扉ページ
『リディアードのランニングバイブル』の原本、「RUNNING WITH LYDIARD』の扉ページ



大切にしている考え


1988年ニュージーランドで行われたリディアードへのインタビューより

「限界は自分だけが知っている。
限界を超えるようなトレーニングはしてはいけない。
限界に達しているのに、さらに頑張ろうとすると
もがきはじめてくる。
そのようなトレーニングは選手自身もつぶすし
走る歓びを壊してしまう。

だから、限界を超えたら、そこでやめること。
これが成功への唯一の道であり
走ることを楽しみつづける
あるいは、楽しんで走り続けながら強くなるためのカギである。

TRAIN BUT DONT STRAIN!
ですよ。」

「今なぜ、このトレーニングをしているのかを
生理学的、力学的に理解し
段階を追って、自ら納得しながら積極的に取り組んでいくことで
はじめて自分のしていることに自信が持て
それ故に成果が得られるのだ」

「自分の反応を頼りにするか
紙に書かれた数字に従うか。

この違いは自分がトレーニングをコントロールするか
トレーニングに自分がコントロールされるか
という違いになって現れる」




からだには希望があることを教わった 《高岡英夫先生》



『からだには希望がある』(高岡英夫著/総合法令刊)
『『からだには希望がある』(高岡英夫著/総合法令刊)


出会い


30歳ぐらいから、10キロ以上走ると、右脚に力が通らなくなり、右足をつくと、かっくんと崩れるような動きになってしまう現象に苦しみ始めました。

仕事でおつきあいのあった日本有数の整形外科の先生や、トレーナーに診ていただいても、原因はわからず。
もう、走るのをあきらめるしかないのかと、思っていたときに、通っていた治療院で、紹介されたのが、高岡英夫先生の当時の最新刊『意識のかたち』(講談社刊)でした。

待ち時間に、パラパラと読むと、体が反応。
ひょっとして、ここに書かれていることをしたら、走れるようになるかもしれないと、ピンときて、帰り道、その本を購入し、一気に読んだのです。

そして、翌日、そこに書いてあったことを、なんとなくのイメージで試してみたら、それまで20キロを走るのに、2時間半くらいかかっていたのが
自己ベストに近い1時間20分くらいで走れてしまったのです。

帰宅後、汗も拭かずに、本に記されていた連絡先に電話。
著者のプロフィールのところに、トップアスリートの指導もしているとあったからですが、私は市民レベルでしかないので、ライターもしています!とアピールして直接の教えを乞うたのです。

すると、翌週の、PR誌による取材に同席を許してくださったのです。
取材のあと、私の体と動きを見て、「こうこうこういうことをしてきたから、こういうからだになって、こういう動きをしている」と私のそのときの状態から原因を見事に看破。

そのからだは自分にしか治せないだろうと、はじめはマンツーマン、のちに身体意識、呼吸法、気功、身体調整法、ゆる体操などの講座に15年以上にわたり、参加しながら、ご著書の執筆などに関わらせていただいてきました。

その日々のおかげで、からだの感覚を感じ取る力に磨きをかけられたことが一番の宝です。

そして、今その宝を使って、体の叡智に従って動きを探究し
この動きは「気持ちいい!イケる!」と感じるとき、その一部に、高岡先生が説かれた動きを発見することが多く
その度に、自分の進んでいる方向がズレていないことを確信させていただいています。


大切にしている考え


高岡先生に師事させていただいた年月はとても長く、教えていただいたことは山ほどあるのですが
以下は、今もわたしの研究の大きな指針になっているものです。

・極大のものと、極小のものは同じ相をしている。

・カラダには希望がある

・カラダには気持ちよさの泉がある

・アクセルを強化する前にブレーキをはずす

・運動進化論




子どものころの走る快感を思い出させていただいた 《栢野忠夫先生》



『動く骨(コツ)』(栢野忠夫著/スキージャーナル刊)
『動く骨(コツ)』(栢野忠夫著/スキージャーナル刊)


出会い



高岡先生からの直接の学びを終えたあと、自分の体に聴きながら、全身をつなげて走るコツを探っているとき
踊りの世界で、同じような方向の動きを探っている友人から「あなたに試してほしいものがあるの。貸すからちょっと使ってみない?」と渡されたのが
栢野先生が作られている動作快然ツールの一つである「LINK」と、「動く骨〜野球編」についていたDVDでした。

DVDをちょっと見て、LINKに乗って遊んで
栢野先生が提唱されていた体幹内操法(現在は「球動法」と改名)を、こんな感じかな〜、と、見よう見まねで走ってみると
「あれ〜?!」 地面を転がるような、どこか懐かしい感覚のある走りになったのです。

その感覚、なんだろうと、と思い出してみると
それは幼児のころ、目の前に広い空間が開けると駆けだしてい時の感覚に似ていました。

ピンとくるものに出会うと、その本家本元にアプローチしてしまう性格は
その時も健在でした。

友人から借りたツールを自分も購入したいと、直接に電話をさしあげました。
転がるような走りになった感動をお伝えしたところから、話が転がり…。

はじめての電話で2時間近く話をしていただき、
ついには、栢野先生の最新刊『動く骨2 手眼足編』の企画・編集に関わらせていただくことになったのです。
以来、球動法を学びつづけています。


大切にしている考え


ご著書やコーチングやセミナーのメモから、自分が合点したり、目からウロコだったりし、らせん状の流れを感じるまでの、道標にさせていただいた視点をご紹介します。

・関節は支点にせず、作用点となるように動く。

・隣同士の骨は、互い違いに動く。

・全身は、連動させるのではなく、連動するようにできている。

・力は溜めて出すものではなく、流すもの。

・動きだす前の動きがある。

・重力と調和する。

・縮む側ではなく伸びる側を意識する。

・軸は動きの中で生まれてくるもの。

・脚も腕も1本。




自分が感知せざるものを認め、それとともに動くことの大切さを教わった 《木村弘先生》



健康講座「治芯」でヒーリングをされる木村弘先生
健康講座「治芯」でヒーリングをされる木村弘先生


出会い


木村先生とのご縁をいただいたのは、2014年のこと。栢野忠夫先生を通してでした。

自分の教室でご指導をさせていただいたあと
参加者の皆さまが気持ちよくなってくれて、私もその場では、嬉しいし、気分がいいのだけど
帰宅後、なんだか体が重い、だるいということがあり、その対処に苦慮していた時のことでした。

参加者が気持ちよくなるのは、参加者の身心から、気持ちよくすることを妨げていた気持ちよくないものが出てくるからで、
それが講師の私のところに来てしまう。
これを治療師の間では、かぶるとか、受けるといっていることは、前から知っていました。

それに対処するには、自身が天地に意識を通し、天地の気を通し、流れをよくしていくことであることを、
高岡英夫先生から学び、鍛錬してきたのですが、まだまだ。
そんな私の目に入ったのが、栢野先生がセミナーにお持ちになる
場を浄化するグッツで、それを作られているのが気功家の木村先生でした。

そのグッツを購入させていただいたのをご縁に
木村先生が確立されている自然功のヒーリングを受け、
自分でも教えていただいたセルフヒーリングを続けることで、まずは体が劇的に変わりました。

長年、自分でしてきた様々な体をゆるめるボディワークでは届かなかった体の深部に気持ちよさがしみこみ、
あるいは、頑固すぎて手に負えなかったコリがほどけはじめ、
関節は潤滑油をさしたように滑らかに動くようになり、
内部の解析度が上がり、体を感じる力が磨かれてきているのです。

その結果、本来の動きを妨げてきた滞りが流れだしたのでしょう。
体の骨格のバランスも整い、今の動きやすさ、軽やかさは、20代後半のときの感じです。

30代後半から続いていた不調(西洋医学的には甲状腺機能低下症と言われました)から脱し
全身に活力がみなぎり始めています。

体の変化のあとを追うように、心も変化してきています。
いろいろな心理的なセミナーで学んできた、いわゆる“ありのまま”“あるがまま”の、囚われのない自分でいることも、
セミナーで学んだいわゆる意識の持ち方みたいなことを、意識しなくても、自然になってきている感じがするのです。
そして、大いなる流れ、リズムに乗って生きることの楽しさを少しだけ感じはじめています。
大元の芯から、楽になってきているのです。

自然功のヒーリングを通して、体と心、そして生き方が軽やかになってきた今
既存の運動生理学、運動力学などに基づいたいわゆる科学的トレーニング法は、なんだったのかと、
大きな、大きな?がつき、自分としてはコペルニクス的転換が起きています。

自然功のこの素晴らしい効果を実感したことから
木村先生が主宰される「治芯」にも参加させていただきながら、自身のヒーリング力も磨いてきました。

「治芯」は、科学文明のいいところは利用させてもらいながらも人間の本来の生命力を活かして、
科学文明の弊害の部分を自分で取り除きながら、本来人間がもっている力を活性化し、気楽に生きることを目的とした会です。

木村先生は、頭で考えること、人間を部分でとらえることを戒め
体と心は一つであること、全体で動くことが肝要であることを、常々、諭してくださりつつ、
行く道を温かく浄らかな光で照らしてくださる大道標です。

「自分が感知せざものがあることを認め、ともに動く」。
この教えは、わかっていないもの、ことの方が多いことを知りながら、
頭で分かっていることだけで、コトを成そうとしていた時に教えてくださったこと。
今の、私の座右の銘になっています。

木村先生の座右の銘は「楽心」。
先生の「きげんよう、やっていればよろしがな」を聞くと、肩の荷がすっと下りてしまうのです。


大切にしている考え


「治芯」のホームページに掲載されている木村先生による「健康へのいざない」というエッセイや、直接に伺ったお話から。

・人間は不思議で絶妙な機能を備える宇宙の構成員。
宇宙を眺めるように、敬虔で用心深く洞察しなければなりません。

・人間は誰もがものすごい力を持っています。
自然な療法でやっていくと、副作用もなしに、
人間の体は本能的に持っている自分で自らを治す力、自治力、自癒力がどんどん増してくる。
身心ともにたくましく、自らの生命力を養っていくのです。

・何歳になっても痛みを取ることができる自然療法を身に付けて
体の手入れをしていけば、歳相応に楽しんで生きていけ
老年期に人生の華を迎えられるのです。

・心と体は一つ、体は一つの連動装置であるということに立ち返って治療を確立していけば
そんなにややこしい、治りにくい病はないし、何歳になっても人は元気になります。
加齢だから治らないという言葉は、通用しなくなるのです。

・機嫌よう、気楽に、流れに任せていけばいい。
もちろん、自分の目標としているものに向かって努力は必要だが、それは歓びでしょう。

・健康への近道は
ラクで気持ちよく、幸せを感じる方向のことをすることです。




 

ラクなほう、気持ちいい方へ動けばいいことを教えてくれた 《橋本敬三先生》



『からだの設計にミスはない』(橋本敬三著/たにぐち書店刊)
『からだの設計にミスはない』(橋本敬三著/たにぐち書店刊)


出会い


橋本敬三先生の存在を知ったのは、木村弘先生を通してでした。

橋本敬三先生は、木村先生が「ノーベル賞どころか、人類賞をあげたい」と言われる「操体法」を創られた方です。
「治芯」で取り組むメインのセルフヒーリング法が、この操体法です。

自分でも橋本先生の『からだの設計にミスはないー操体法の原理ー』(たにぐち書店刊)などを読み、学ばせていただいてきました。

橋本先生は西洋医学の医師でしたが、その知識だけでは治せない患者がいたことから
町の民間の治療師や漢方医から、古来から東洋に伝わり、民間に残されているもののを片端から学びました。
そして、その中から、21世紀の人類に残す宝ものを探し出してまとめたものが、操体法です。

橋本先生は、すべての身心の不調は、からだの運動系の歪みが原因で
歪みを正せば、不調は治る。
歪みを治すには、痛いことをするのではなく、痛くない方向に動かせばいい、そうして歪みが正されると痛みが消える。
痛みや苦しさは、病気ではなく、体が歪んでいるよ、のサイン、それを無視すると病気になるというのです。

操体法をすると、すとんと立てて、からだの中心に芯が通るようになり
力みが抜けて、気血の流れがよくなります。

歩いたり、走ったりする前にすると、動きが滑らかになります。
〈らせん流RUNワークショップ〉でも、この操体法をメインのワークの一つにさせていただいています。
操体法をした後、上のような感想はもちろんいただくのですが、私から見て、一番うれしいのは
皆さんの表情が穏やかになり、ほわ〜っとした柔らかな雰囲気に部屋全体が包まれることです。

また、操体法では、息を吐きながら超ゆっくり動くが肝要です。
せっかちな私には、はじめはそれが性に合わず、それなりに効果は出るのですが、
「うわっ、気持ちいい!」と感嘆の声が上がるまではいきませんでした。

ところが
『からだの設計にミスはない』に「フワーと、水の中に浮かんでいる水草を引っ張ってくるように、スウーとうごかせばいい」という説明があり、
その感じでやってから開眼。
その動きをしたいなら、こっちの方においで、という感じで、力が流れる方向をからだが教えてくれて、

まさにスウーと動き、背骨にそって、得も言われぬ快感(『サトウサンペイの操体法入門』でサンペイさんは、これを♡で表していました)が走り、頭のてっぺんから抜けるのです。

このときはじめて、ゆっくりとした動きに内包された、豊饒なからだの世界があることを感じ、
以来、この体の豊かさ、気持ちよさを伝えられる人になりたいと、思ってきました。


腑に落ちている考え


『からだの設計にミスはないー操体法の原理―』より

「野生の動物は、自分の勘で(自分のからだを)治してしまうんですね。

勘——私はこれを原始感覚とも言っているが、この感覚は本来人間にもそなわっているものだ。
自分の原始感覚に従って、自分のからだに合った行動をとったり、食物をとったりする。

(中略) この天来の感覚はバランスがとれていて、自然界の変化の中でいろいろな作用を受け
それに対して素直に反応しながら生きていくために、欠かすことのできない神からの授かりものなのです。

(中略)からだの中の変化に素直に反応する感覚、
この感覚こそもっとも大事にしなければならないもので、いつでもそれを高めようという意識をもって

鍛錬し磨き上げていくような心構えを私たちは常に忘れてはならない」 

「大自然の原理として、人間は誰でも健康で幸福に一生送れるように、
チャンと設計されているのだ。それが実現されないのは、生き方の自然法則からはずれているためで
この法則にそむくと心身の姿と動きに歪みが生じ
その歪みを正してバランスをとり戻せば、病気は治るのだ」



橋本先生のセミナー参加者のメモより

・「気持ちいい」は、本人が行動ないし、静止して感じることができる。
追求のやり方によっては、よぉく感じることができるようになる。
追求してみなければわからない。
まずは、少しずつでもいいから感じてみるといいようです。
はじめはわからないかもしれないが、早い遅いの差はあれ、必ずわかってくる。
何故か? だって、生まれながらにみーんな備わっているものだから。

・からだはいつも自分を守ろうとして、体がアンバランスになると、
痛い、突っ張る、苦しいなどのサインをいつも出してくれる。
くれぐれも苦痛を病気と勘違いしないこと。

・野生の動物さんたちは、みーんな知っている。
だから、ぜったいに痛いことなどしない。
曲げて痛けりゃ、伸ばせばいいんだ。
治し方をちゃーんと知っている。

・人間も知ってはいる。だって、痛いこと、苦しいことはみんなキライ。
人間だって、気持ちいいことの方が好き。
知っているのに、痛い、苦しいことをすれば治るのでは? と、
頭で勘違いしている。この辺がわかっていないところ。

・からだは全部つながっている。
痛いところだけ治すなら、そこんところを取っておいてけ。
明日までに治しておくから、と、こんなわけにはいかない。




体操、動くことの探究が開く深奥な世界を教えてくれた 《野口三千三先生》



『おもさに貞く』(野口三千三著/柏樹社刊)
『おもさに貞く』(野口三千三著/柏樹社刊)


出会い


野口三千三先生は「野口体操」の創始者です。
「体操とは自分のからだの動きをてがかりに、人間とは何かを探究する営みである」といい、
独自の身体観、人間論を提供してくれた、私にとっての大先生です。

私が体を壊し、「そもそもに還る」を大テーマに試行錯誤を始めてしばらくして
野口先生の最初のご著書の改訂版『原初生命体としての人間—野口体操の理論』(岩波現代文庫)に出会いました。
私の求めているのは、この方向だよな、と直感し、あちこちに線を引きながら読みました。

しかし、その理解は頭の段階にとどまっており
直接に教えを乞おうというエネルギーがわかなかったことが、今になって、とても悔やまれます。

今、その本を読み返してみて
当時線を引いていたところや、他のところでも「そう、そう、わかる、わかる」と体が言ってくるところが増えてきました。
また、野口先生の他のご著書にある言葉のひとつひとつに
自分が感じてきたことと重なる部分があり、勇気づけられてきました。

もちろん、野口先生が残された壮大な仕事のほんの一部しか私は知り得ておりません。
腑に落ちてきている部分も、まだまだ表層でしかないのだと思いますが
自分の進んでいる方向が、野口先生のそれに外れていないことを感じるとき
とてもうれしくなるのです。


大きな気づきをいただいた言葉


『原初生命体としての人間』より

・私は、生きるということの中で自分自身の「まるごと全体」が
オパーリンの生命の起源における「コアセルベート」の未分化、全体整のあり方とそっくりそのまま、かさなり合い融け合ってしまうのを実感するのである。
私はこの状態を原初生命体と呼んでいる。

・今や、論理・科学という名の巨大な怪物が、分析・数値化という方法によって
いつもまるごと全体であるべき自然の生きものを、くい荒らしているのではないか。そのような気がして、私は強い疑惑と恐怖を感ずるのである。
原初生命体の発想は、生き物としての私の、防衛・抵抗反応であろう。

・自然保護ということがしきりに言われるこの頃であるが
自分という「自然の分身」はいったいどうなっているのであろうか。
からだの中の自然を歪ませていることはないであろうか。自分の外側ばかりに目を奪われて、人間が、造物主であるかのように思い上がり傲慢にふるまっていることはないであろうか。


『おもさに貞く』より

・地球上のすべての存在の究極のふるさとは地球の中心である。

・卵子は存在の基本形であり
精子は動きの基本である。
卵子は球形、精子は細長く長軸方向に動き、その方法は「うねり、ひねり、なみ」である。
そのような動きを「泳ぎ」といい、陸上の動物の「這う、四つん這い歩き・走り、二本足歩き走り、空を飛ぶ」のすべてが
基本原理においては泳ぎなのである。

・自分自身のまるごと全体のからだの中身が
優しさという生き物になり切ったとき、全ての動きを易しく動くことができる。
その感じは安らかで休まり癒される。

・自分の内部の世界を信ずることができない者には
現実というものは存在しない。

・自分自身を尊敬できない者が
他の人をほんとうに尊敬できるとは思えない。

・生きることの基本的なことについて、それが自然の原理によって行われたとき
神はそのことに特有の快感(気持ちよさ)をかんずる能力を与えている。

・「涛(波)・渦・螺旋」こそ、すべての存在や動きの基本である。

.


人間のからだの可能性のすばらしさを感じさせてくださっている 《小松の教室に参加してくださったみなさま》



人間のからだの可能性のすばらしさを感じさせてくださっている 《小松の教室に参加してくださったみなさま》

私は、それまで書籍などを通して、体をゆるめることの大切さを伝えてきましたが
2008年からは、現場で直接お伝えしたいと、NPO法人日本ゆる協会公認ゆる体操とゆるウオーク指導員として、ゆるウオークのご指導に携わってきました。
そして、2014年のゆる体操オープン化を機に、ゆる体操指導員の資格を返上。
その後は、ゆる体操の枠を超えて、私の体がピンときて、消化してきたものを取り入れながらのご指導を展開してきました。
そんな私の教室に長年通い続けてくださったみなさまに心より感謝いたします。

運動好きの私の体から生まれた発想が
小学生からシニアの方まで、アスリートから、健康維持のために体操をしている方まで
さまざまな立場の方から、「歩くってこんなに楽だったの?」「この教室に来ると、気持ちいい」という感想をいただいてきたことが、自信と勇気を与えてくださりました。

まだまだ、不明なことばかりですが、自分が感知しえないことがあることを認めた上で、楽なこと、気持ちいいことで、身心を調え、命が歓ぶ動きを探っていきます。引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。




*番外編* わたしのベースを支えてくれている 《両親・夫・息子・娘・そして自分》



両親へ


やりたいことをみつけてトライすることを応援してくれた母がいたから
私はここまで走ることに夢中になれました。

反骨精神の強いジャーナリストだった父は、現場第一主義と、
文章についてはわかりやすさを一番であることを教えてくれました。

そのおかげで、ただ走るだけでなく、書くことで、走る世界をより豊かにできたら、
という思いをいつも持ち続けられました。ありがとう。


夫へ


もう一度気持ちよく走りたいという一念で、25年も試行錯誤を続けられたのは
自身も走ることが好きな夫が、私のやりたいようにやらせてくれているから。ありがとう。


息子と娘へ


二人とも走ることが好きになってくれて、ありがとう。
二人は、私の探究の成果を試す一番目のランナー(実験台?)でした。
ともに走る時間を持てたこと、とても幸せです。
つきあってくれて、ありがとう。


自分へ


よくぞ、あきらめずに、ここまできたね。そのあきらめの悪さに、ありがとう。




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