自分の体を「ありがとう」の気持ちでさする――、
わたしは、
これを「ご自愛さすり」と称して、
体のセルフケア法の原点、
もっといえば、気持ちよい動きの原点――
と、とらえている。
だから、わたしがナビゲートするワークショップでは、
まず、
他のことを考えて、
心ここにあらずで、
ただ機械的さするのと、
見事なまでに精緻に創られ、
動く自分の体に対して、
感謝やねぎらい、
痛めている場合は、
詫びの気持ちの気持ちをもってさする、
これを交互に繰り返して、
違いを感じてもらう。
***
まず、前者をしてもらうと、
「自分をさするなんて、したことなかった、
これって、気持ちいいですね」などとガヤガヤ。
続いて、後者をしてもらう。
「自分に対して、ありがとう、
なんて思ったことなかったなぁ」
と、ためらいがちに、あるいは照れながら
さすりはじめる。
しだいに、教室が静かになってくる。
顔の表情も、さする手の動きも
柔らかく優しく、
前者の時に聞こえていたガサガサさする音も消える。
教室全体の空気が、柔らかく優しくなる。
わたしが好きな瞬間だ。
「手がからだにピタッとついて、
気持ちよさが深いところまで届く、広がる。全然違う!」
もう一度前者に戻ってもらう。
「これって、ただの摩擦でしかなく、気分が悪い、
体を部分でしか使ってなくて、疲れる。
こんなんだったら、やる必要ないくらい」
では、後者に戻ってみて・・・。
「ありがとう、の気持ちがあると、
自然に全身が動きだすんですね。
全身に気持ちよさが広がっていく・・・」
***
これで全身さすってもらって、歩くと、
それだけで、全身が一塊で動きだす。
「どこを使っている感がない…、
どこから動きだしているか、わからない…、
こんな感覚はじめて…
気持ちいい…」
の声があがる。
これまで、手だけでさすってみるのと、
全身でさすってみるのとの比較もしていたが、
その必要はなかったよう…。
***
自分の体に対する「ありがとう」の気持ちに支えられた動きは、
自ずと、然るべき動き、
すなわち自然になるのかもしれない。
わたしたちのからだは、まだまだわからないことだらけ。
そして、世界的な遺伝子学者の村上和雄先生の話では、
そのわかっていないところが、
一番大事なところを握っている可能性が高いという。
なのに、わたしたちときたら、
頭で解明できた部品や、
感じれることだけをやりくりして、
よりよい動きをしようとしてしまいがち。
けれど、「ありがとう」の思いで動くと、
わかっているものも、
いまだ、わかっていない、感知していないものも
呼応し、
心地よい状態、動きに導いてくれるような気がするのだ。